アナ雪の影響で、最近娘のピクサーブームが激しく、毎週のようにアニメーション映画を鑑賞している。

今回は「モンスターズユニバーシティ」
そもそもあまりディズニー映画を観るタイプではなかったため、この映画の存在はNetflixで初めて知ったのだが、評判を調べると日本では低評価の方が多い印象を受けたので、あまり期待はしていなかった。
・・・しかしながら結論を言うと、その後に鑑賞した前作のモンスターズインクよりも好きだった。
今までの人生経験で反応が分かれるストーリーなのかもしれない。
この映画の主人公は、前作の準主人公だったマイク(Mike Wazowski)。
前作主人公だった「サリー(James P.Sullivan)」は、今回準主役として登場する。
現在コンビで活躍する二人が、出会った頃の話だ。
幼少期のマイクがあまりにも可愛いので、ぜひ予告編を見て欲しい。
この物語を一言で言うと、個性あふれる学生モンスター達が、モンスター界の憧れである「Scarer(怖がらせ屋)」になるべく、それぞれ奮闘する物語。
生まれながらにして「可愛い系モンスター」の主人公マイクは、幼少期からずっと周りに見下される立場だった。
そんなマイクは、大学内で開催される「怖がらせ屋大会」に出場することになる。
彼のチームメイトは、大学の落ちこぼれ達が集まる地味なサークルメンバー。
そこに”落ちこぼれ”のサラブレッド「サリー」が加わり、彼らの成長がそれぞれ描かれていく。
なお、以降はネタバレには考慮していないので、まだ映画を観ていない人は注意してほしい。
王道のYou Do Youストーリー
それぞれの長所を活かせば、それぞれのやり方で成功できる。
短所を補おうとするよりも、長所を伸ばせ。
他者になろうとするのではなく、自分を生きろ。
まさに王道のYou Do Youストーリーだと思う。
母親という立場になったからだろうか、映画の中で奮闘する個性豊かな学生モンスター全員に対し、娘がこの立場だった時、私はどんな言葉をかけるべきか。
そんなことを考えながら見ていた。
みんな違ってみんな良い。
金子みすゞ先生の詩を習ったのは、私が小学生低学年の頃。
その当時からこう言われているのに、やはり排他的な考え方、他者と違うことに対する同調圧力は、特に日本には根深く存在すると思う。
そういう意味で、この映画は子供から大人まで深く考えることの出来る映画だと思う。
努力では越えられない「才能」の壁
どれだけ努力しても、頑張っても、叶えられない夢は存在する。
そんな残酷な「現実」を突きつけた点は、この映画のとても良い点だと思った。
だってこれは「真実」だから。
特に、スポーツや音楽の世界には、残酷なほどにそれがはっきりと出る。
努力だけではどうしようもないことは、確かにこの世の中に存在する。
そして人は、しばしばそれを「不公平だ」と言う。
・・・でも、重要なのはそうじゃない。
「差」や「人と違うこと」自体が、悪いのではない。
自分の個性や特徴を、どう受け止めて、どう捉えて、どこで、どう活かすか。
それを自分で探して、見つけて、行動ことが大事なんだよ、と。
それを教えてくれたのが、本作の主人公「マイク」だ。
主人公のマイクの容姿やキャラクター設定は、いつも彼自身の目標に対して「不利」だった。
彼はこのハンデを、彼のやり方で逞しく乗り越えていく。
サラブレッドであることの重圧
マイクにはマイクの悩みがあるように、サリーにはサリーの悩みがある。
彼は「天才」であること、「天才」でい続けることへの重圧に、いつも怯えていた。
天才と天才の間に生まれた有名なサラブレッド。
恵まれた容姿と才能があるのだからできて当たり前。
勝つことが大前提で、負けること自体が許されない。
「才能のある落ちこぼれ、人生詰んだ、かつての天才」
そういうレッテルを貼られる危険性といつも隣り合わせ。
・・・でも「天才」だから故に、弱音を吐く場所がない。
作品の前半では、彼は自分の才能に胡坐をかいているように見えるのだが、本当はものすごく臆病で弱い自分を隠すために「天才サリー」を無理に演じていただけだった。
・・・そんなところに、お世辞にも怖いとは言えない風貌のくせに、自分よりもよっぽど「怖いもの知らず」なマイクが、じわじわと努力で実力をつけてきて自分の「脅威」になる。
常に追われる者の大きな苦悩を教えてくれたのは、本作のサリーだ。
「優劣」や「勝ち負け」ではない世界
私自身が、スポーツの世界で「努力では絶対に越えられない壁(器械体操)」と「常に追われる立場(剣道)」の両方を経験したからこそ、二人の苦悩は本当に理解できた。
どっちの方が辛かった、とかはない。
本当にどちらも辛かった。
でもこの映画に希望があったのは、それで終わらなかったこと。
作中では結局、マイクは夢であった「Scarer(怖がらせ屋)」として活躍することはできない。
彼は死ぬほど努力したけど、生まれ持った特徴を変えることは出来なかった。
・・・しかしながら、サリーとタッグを組んで、彼のコーチ(和訳ではアシスタント)として活躍する。
サリーの才能を最大限に生かすための「監督」のような位置づけだ。
マイクは、自分自身が怖がらせ屋として成功することはできなかったけど、史上最強の怖がらせ屋を育成する専属コーチとして大成功できたのだ。
一方サリーはマイクと出会ったことで、才能が無くても自分の個性を活かして成果を出している人を目の当たりにし、才能だけでは足りないという事実に気がつく。
そして、無理に天才を演じる必要なんてない、自分も人と同じように泥臭く努力して良いんだと、自分自身にかけていた呪いから解放されたサリーは、マイクを信頼し、きちんとトレーニングに励むようになる。
努力することを学んだ天才サリーは、もともとの才能をグングン開花させ、見事、スーパールーキーとして、マイクとともに「モンスターズインク」のトップScarerとして活躍することになるのだ。
二人が突き抜けた瞬間
本作の「それぞれの個性に優劣なんてない」という、現代的でとても強いメッセージにはもちろん感動したが、実は私はそこよりも、全く違う個性を持つ二人が、それぞれの形で「突き抜けた」ところに一番感動した。
作中の2人は前述した通り、全く別の特徴を持ち、全く別のことに苦しんでいた。
両極端とも言えるマイクとサリーが「突き抜けた瞬間」。
それは、「相手を深く尊重し」「プライドを捨てた瞬間」だったと思う。
お互いの「強さ」を心から認め、お互いの「弱さ」を知った。
その時初めて、二人で協力して、前代未聞の大きなことを成し遂げた。
これは人間社会においてもそのままな気がする。
何か目標や夢を目指して進んだ時、悩みを抱かない者はいない。
どんなスタート地点から、どんなアプローチをしても、頑張る誰もが、必ず壁にぶつかる。
極端すぎるマイクとサリーのようなキャラクターもそうだが、きっと、2人を足して半分に割ったようなバランスの取れた者(本作ではランドールが近いと思う)は、今度は「器用貧乏」として、同じように葛藤し悩むのだろう。
そんな時、いかに他者を尊重できるか、素直になれるか、プライドを捨てられるか。
これがその人の成長の要になるのではないか、と。
モンスターズユニバーシティは、自分自身の経験から共感できる部分が多く「映画」として楽しめたとともに、一人の母親としてどんなふうに娘に「You Do You」を伝えていこうか。
そんなことを考えさせられる、とても良い作品だった。